学習テキスト

徒然草より

 

第五段 不幸に愁にしづめる人の

 

@不幸にA愁にしづめる人の、頭おろしなど、BふつつかにC思ひとりたるにはあらで、D有るかなきかに門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、Eさるかたにあらまほし。

 

顕基中納言の言ひけん、F配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

 

(口語訳)

不幸にあって悲しみ沈んでいる人が頭をおろして出家するなど、軽率に思いこんでやったのではなく、いるのか、いないのかわからない様子に門をとざして、世の中に期待することもなく明かし暮らしている。そういうあり方こそ、好ましい。

 

顕基中納言が言ったという、配所の月を、罪の無い身の上で見たいという事。そんなふうに思われることだ。

 

※語句

○不幸に 不幸にあって。 

 A愁にしづめる人の 悲しみ沈んでいる人

○ふつつかに 

 B軽率に

○思ひとる 

 C決心する。思いこんでやったのではなく 

 Dいるのか、いないのかわからない様子

○かた 

 Eさるかたにあらまほし そういう風なのが好ましい

○顕基中納言 源顕基(1000-1047)。

醍醐源氏、安和の変で失脚した源高明の孫で、権大納言・源俊賢の子。

後一条天皇の側近として仕えるが、後一条天皇崩御にともない出家。

大原山・横川・醍醐に隠棲する。法名円照。

朝夕琵琶を弾きつつ、配所の月を

流されていない身の上で見たいと歌ったという。 

○F配所の月 流された配流先で見る月。


第六段 子といふ物なくてありなん

 

わが身の@やんごとなからんにも、ましてA数ならざらんにも、B子といふ物なくてありなん。

 

前C中書王(さきのちゅうしょおう)・九条太政大臣(くじょうのだじょうだいじん)・花園左大臣(はなぞののさだいじん)、Dみな族(ぞう)絶えん事をねがひ給へり。染殿大臣(そめどののおとど)も、E「子孫おはせぬぞよく侍る。F末のおくれ給へるはわろき事なり」とぞ、G世継の翁の物語にはいへる。聖徳太子の、I御墓をかねて築(つ)かせ給ひける時も、J「ここを切れ、かしこを断て。K子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

 

(口語訳)

わが身が尊い高貴な人でも、まして物の数でもない低い身分の者でも、子というものはいないほうがいいようだ。

 

前中書王・兼明親王も、九条太政大臣・藤原信長も、みな子孫が絶えることを願いなされた。染殿大臣・藤原良房も、「子孫がいらっしゃらないのがよい。子孫が落ちぶれるのは、ひどい事だ」と、世継の翁の物語といわれる『大鏡』の中で言っている。

 

聖徳太子が、御墓を生前に作らせなさった時も、「ここを切れ。あそこを断て。子孫がいなくなればいいと思うのだ」とおっしゃったとかいうことだ。

 

※語句

@高貴な身分でなくても

A取るに足りない場合にも

B子供というものはいないほうが良い

○ありなん 

「なむ」は完了の助動詞「ぬ」の未然形「な」に推量の助動詞「む」がついたもの。…のような状態であるのがよいだろう。 

 

○C中書 中務卿の唐風の言い方。

醍醐天皇の皇子中務卿兼明親王(914-987)。

村上天皇の皇子具平親王も中務卿であったので、兼明親王を前中書王(さきのちゅうしょおう)、具平親王を後中書王(のちのちゅうしょおう)という。ともに博学多才。 

○九条太政大臣 藤原信長(1022-1094)。

関白教通の子である。 

○花園左大臣 源有仁(1103-1147)。

後三条天皇の孫輔仁親王の子。美貌と管弦の才で知られている。

「花園」はその別邸の名。仁和寺付近にあった。 

Dみんな自分の血筋(血族)が絶えることを願っておられた

○おくれ給へる 劣っておいでである。

落ちぶれておいでである。 

○染殿大臣 摂政・太政大臣藤原良房。清和天皇の外祖父。

藤原氏繁栄の基を築いた。

『大鏡』に「かくいみじき幸い人の、子のおはしまさぬこそ口惜しけれ」とある。 

E『子孫などいないほうが良い

Fろくでなしの子ができるのは悪いことである』と語っていたそうだ

○G世継の翁の物語 『大鏡』。

ただし文中の言葉は『大鏡』に見えない。

兼好の記憶違いか? 

○聖徳太子 用明天皇第一皇子。

推古天皇摂政。皇太子。

文中の言葉は『聖徳太子伝暦』に見える。

「此処は必ず断て。彼処は必ず切れ。

まさに子孫の後を絶ゆべからしまんと欲す」。

実際に聖徳太子の血筋は息子の山背大兄王の代で蘇我入鹿に亡ぼされて絶えた。

I自分の墓を築かせる時に

J『あれもいらない。これもいらない

K自分は子孫を残すつもりなどはない』とおっしゃっていたと伝えられている。


第七段 あだし野の露きゆる時なく

 

あだし野の露きゆる時なく、@鳥辺山の烟立ちさらでのみ住みはつるならひならば、Aいかにもののあはれもなからん。B世はさだめなきこそいみじけれ。

 

命あるものを見るに、C人ばかり久しきものはなし。Dかげろふの夕を待ち、E夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。Fつくづくと一年を暮らすほどだにも、Gこよなうのどけしや。Hあかず惜しと思はば、I千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。

 

J住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。K命長ければ辱(はじ)多し。L長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべけれ。

 

Mそのほど過ぎぬれば、かたちを恥づる心もなく、N人に出でまじらはん事を思ひ、夕の陽(ひ)に子孫を愛して、O栄(さか)ゆく末を見んまでの命をあらまし、ひたすら世をむさぼる心のみ深く、Pもののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

 

(口語訳)

あだし野の露が消える時なく、鳥辺山の煙がいつまでも上がり続けるように、人生が永遠に続くものならば、どうしてもののあはれなど、あるだろう。人生は限りがあるからこそ、よいのだ。

 

命あるものを見れば、人間ほど長生きするものは無い。かげろうが朝生まれて夕方には死に、夏の蝉が春や秋を知らない例もあるのだ。しみじみ一年を暮らす程度でも、たいそうのんびりした時を過ごせるものであることよ。

 

満足できない。もっともっとと思ったら、千年を過ぎても一夜の夢の心地がするだろう。どうせ永遠には生きられない世の中に、長生きした末に醜い姿を得て、それが何になるだろう。

 

長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で死ぬのが見苦しくないところだ。

 

そのあたりの年を過ぎると、醜い容貌を恥じる気持ちも無くなり、人に交わることを欲して、老いさらばえて子孫を愛して、子孫が立身出世する末を見届けるまでは生きよう、などと期待し、ひたすら世をむさぼる心ばかり深く、もののあはれもわからなくなっていく。あさましいことだ。

 

※語句

@鳥部屋の煙が消えないように人間の生命が終わらないのであれば

Aこの世の面白み・興趣もきっと無くなってしまうだろう

B人生(生命)は定まっていないから良いのである

○あだし野 京都嵯峨野の奥にあった風葬の地。

「化野」と書く。小倉山のふもと。

現在の念仏寺のあたり。 

○鳥辺山 洛東清水寺の南の丘陵地帯。

火葬場があった。

現在も広大な墓地が広がっている。 

○のどけしや 「や」は詠嘆。 

C人間ほど長生きするものはない

D蜻蛉(かげろう)のように一日で死ぬものもあれば

E夏の蝉のように春も秋も知らずにその生命を終えてしまうものもある

Fその儚さと比べたら、人生はその内のたった一年でも

Gこの上なく長いもののように思う

Hその人生に満足せずに、いつまでも生きていたいと思うなら、

Iたとえ千年生きても、一夜の夢のように短いと思うだろう

○住み果てぬ世 永久に生きることはできない世。 

J永遠に生きられない定めの世界で、

醜い老人になるまで長く生きて、一体何をしようというのか。

K漢籍の『荘子』では『命長ければ辱多し』とも言っている

L長くても、せいぜい四十前に死ぬのが見苦しくなくて良いのである

○待ちえる 待ったあげくに得る。 

○命長ければ辱多し 

「尭曰く、男子多ければ則ち懼れ多く、富めば則ち事多く、寿(いのちなが)ければ則ち辱多し。是の三つの者徳を養う所以にあらざるなり」(『荘子』天地) 

○めやすかる 見苦しくない。 

M四十以上まで生きるようなことがあれば、

人は外見を恥じる気持ちも無くなり

N人前に哀れな姿を出して世に交わろうとするだろう。

死期が近づくと、子孫のことを気に掛けることが多くなり

O子孫の栄える将来まで長生きしたくなってくる。

この世の安逸を貪る気持ちばかりが強くなり

P風流さ・趣深さも分からなくなってしまう。

情けないことだ。

○夕の陽 「憐むべし八九十、歯堕ち双眸昏(くら)し。

朝露に名利を貪り、夕陽に子孫を憂ふ」(白氏文集・秦中吟・不致仕)。 

夕方に人生の晩年を暗示している。 

○あらまし 期待し。願って。