学習テキスト 徒然草より第二段 おろそかなるをもてよしとす @いにしへのひじりの御世の政をもわすれ、民の愁(うれへ)、A国のそこなはるるをも知らず、 Bよろづにきよらをつくしていみじと思ひ、 C所せきさましたる人こそ、 Dうたて、E思ふところなく見ゆれ。 「F衣冠より馬・車にいたるまで、有るにしたがひて用ゐよ。 G美麗をもとむる事なかれ」とぞ、 H九条殿の遺誡にも侍る(はんべる)。 I順徳院の、禁中の事ども書かせ給へるにも、 J「おほやけの奉り物は、おろそかなるをもてよしとす」とこそ侍れ。 (口語訳) 醍醐・村上といった昔の聡明な帝の御世の政治をも忘れ、民の愁い、 国が衰退していくことをも知らず、 あらゆることに贅沢を尽くしてそれがいいことと思い、 所せましと威張り散らす人こそ、 ひどく思慮が浅く見える。 「衣冠から馬・車に至るまで、ありあわせのものを使え。 贅沢を求めるな」と 九条殿と言われた藤原師輔が子孫に訓戒した書の中にもある。 順徳院が宮中のことをお書かせになった書物の中にも 「天皇・皇族のお召し物は、質素なのがよい」とある。 ○いにしへのひじりの御世 王権が盛んでよい政治を行ったであった。 醍醐天皇・村上天皇の時代。延喜・天暦年間。 @昔の聖天子の簡素を旨とする政治のことを忘れて、 あるいは無視して、の意。 A国の損失のことも考えず、 ○きよら 綺羅・ぜいたく。 Bすべてにぜいたくの限りを尽くして立派だと思い。 ○所せき 「所狭き」。あたり構わずいばる様。 C自分のことを偉いと勘違いし「ここは狭くて窮屈だ」 というような態度をしている人を見ると、 ○うたて Dひどく。「見ゆる」にかかる。 ○思うところ 思慮・分別。 Eなんともはや、思慮分別が無いように見えることだ。 ○衣冠 貴族の略式の服装。 F衣冠・馬車などに至るまで、そこにあるものを用いれば良い G華美な贅沢を求めてはいけない』と ○九条殿 右大臣藤原師輔。 関白忠平の子。館が九条にあったので九条殿と呼ばれる。 ○遺カイ 九条殿藤原師輔が子孫に書き残した訓戒。『九条殿遺カイ』 H九条殿(右大臣・藤原師輔)の遺誡にも書かれている。 ○順徳院 1197〜1242。第84代天皇。 承久の乱に敗れ佐渡島に流される。 百人一首に 「百敷や古き軒端のしのぶにも なほ余りある昔なりけり」が採られる。 ○禁中の事ども書かせ給へる 順徳院の著作『禁秘抄』「御装束の事」の条に「天位着御の物は、疎かなるを以て美と為す」とある。 I順徳天皇が朝廷の仕儀についてお書きになったもの(『禁秘抄』)にも ○おろそか 粗末。 J『天皇のお召し物は、質素・粗末なもので良いとする』とあるのに。 第三段 色好まざらん男は、いとさうざうし @よろづにいみじくとも、色好まざらん男(おのこ)は、 Aいとさうざうしく、 B玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。 C露霜にしほたれて、 D所定めずまどひ歩き、 E親のいさめ、世のそしりをつつむに心の暇なく、 Fあふさきるさに思ひ乱れ、 Gさるは独り寝がちに、まどろむ夜なきこそをかしけれ。 Hさりとて、ひたすらたはれたる方にはあらで、 I女にたやすからず思はれんこそ、あらまほしかるべきわざなれ。 (口語訳) 万事に優れていても、色恋の情緒を理解しない男は、 たいそう物足りなく、 玉の盃の底が抜けているような感じがする。 露や霜に濡れそぼって、 所も定まらず迷い歩き、 親のいさめ、世間のそしりをはばかって心の暇もなく、 ああでもない、こうでもないと思い乱れて、 だからといってモテモテかというとそうではなく独り寝の夜が多く、短い眠りも得られない夜が多い。そんな男こそ情緒がある。 そうはいっても、ひたすら色恋に没頭するふうではなくて、 女から見れば簡単には落とせないように思われるのこそ、 理想的な身のあり方である。 語句 ○いみじ すぐれていること。 @すべてにおいて優れているのに ○色好み 色恋の情緒をわきまえていること。 在原業平や光源氏を念頭に置いているとされる。 ○さうざうし 「さくさくし」の音便。あるべきものが無くて物足りない。心さびしい。 Aどこか間が抜けていて ○玉の巵の当なき 「且つ夫れ玉の巵の当なきは、宝といへども用にあらず」(文選)による。 B水晶(玉石)の盃(さかずき)の底が無くなっているような感じを受ける ○しほたれて ぐっしょり濡れて。 C夜露に着物を濡らしながら D行き場所もなくさまよい歩いており E親の注意も世間の非難を聞くだけの気持ちの余裕もなく ○つつむ 「慎む」。遠慮する。はばかる。さしひかえる。 ○あふさきるさ ああでもない、こうでもないと。 Fあれこれと思い悩んでいる ○さるは 「然あるは」の略。そのではあるが。実は。と言っても。 Gその結果、独りで寒々と眠ることになるのだが、 その寝つけない夜というのが興趣をそそるのである。 ○たはれる 恋に没頭する。 Hしかし、ただ淫らに女を求め過ぎるというのもダメであり I女に軽い男と思われない程度に振る舞うのが望ましいやり方なのだ。 第四段 後の世の事、心にわすれず 後の世の事、心にわすれず、@仏の道うとからぬ、こころにくし。 (口語訳) 来世のことを心に忘れず、@仏の道を疎遠にしない。そういう人は、奥ゆかしい。 ※語句 ○後の世 来世。 ○こころにくし 奥ゆかしい。 上品だ。たいしたものだ。
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