学習テキスト

第1編 総則
第1章 刑法の基礎理論
第1節 総説 


○刑罰の目的に関する主要な見解を理解し、その概要を説明することができる。

※刑罰の目的に関する考え方として、応報刑論と、目的刑論がある。
 
・応報刑論とは、刑罰は過去の犯罪行為に対する応報として、犯人に苦痛を与えるためのものだとする考え方である。

・目的刑論とは、刑罰は犯罪を抑止する目的で設置される性格をもつという考え方である。現在はこちらが主流である。
 
・目的刑論は、刑罰には「威嚇」と「法への信頼」の効果をもつと考える一般予防論と、刑罰は犯罪者の隔離及び教育のためにあると考える特別予防論とに分かれる。


○刑の種類・内容について理解し、その概要を説明することができる。

※刑罰には、
①生命刑として、死刑(11条)が、
②自由刑として、懲役(12条)、禁錮(13条)、拘留(14条)が、
③財産刑として、罰金(15条)、科料(16条)、没収(19条)がある。9条が没収のみを付加刑としている。

※付加刑とは、主刑が言い渡された場合に、これに付加してのみ言い渡すことのできる刑罰である。

○懲役・禁錮
・懲役とは、犯罪をおかした者に与えられる刑罰の一種で、監獄に拘置して定役に服させるものです。
定役とは、刑務作業が義務づけられていることをいう。

・監獄に拘置させる刑罰としては、ほかにも禁錮がありますが、これは、定役を科せられない点で懲役と異なります。

※懲役には、有期と無期とがあり、有期懲役は、1か月以上15年以下の範囲で期間が決められるのが原則ですが、特別な事情がある場合には最高20年まで延長できます。無期懲役とは終身のものをいう。

○拘留
・一日以上三十日未満刑事施設に拘置することをいう(刑法第16条)

○罰金
・行為者から強制的に金銭を取り立てる財産刑である。自然人だけでなく、法人に罰金刑を科すこともできる。

○科料
・千円以上一万円未満の財産刑をいう(刑法第17条)

○没収
・一定の物件の没収のことをいう(刑法第19条)

○法定刑、処断刑、宣告刑の意義について理解し、その概要を説明することができる。

○法定刑
・法定刑とは、刑罰法規の各本条において規定されている刑をいう。

※罪刑法定主義によれば、いかなる行為が犯罪となるか(構成要件)だけでなく、その行為に対していかなる刑罰が科されるかをも、法律(又は法律の委任に基づく命令)が前もって規定しなければならない。こうして規定された刑罰が法定刑である。

・法定刑には裁量的な選択の余地がないもの(絶対的法定刑→外患誘致罪(刑法81条))もあるが、大多数の場合には、刑種の選択(選択刑)や刑期の量定(相対的法定刑)について裁判所に裁量的な選択の余地が与えられている。

○処断刑
・処断刑とは、法定刑に加重・減軽を加えて得られた刑をいう。

※法定刑に、加重・減軽をする4つの事由があります。
再犯加重、法律上の減軽、併合罪加重、酌量減軽

これらの4つの要素を加味して、法定刑に規定されている刑の重さを足したり引いたりすることになる。こうして決まったものが処断刑といわれるものである。

○宣告刑
・宣告刑とは、裁判官が、処断刑の枠の中で裁量により決定する具体的な刑をいう。

※法定刑に加重・減軽した処断刑の範囲内で、最終的に裁判官が決めて言い渡す刑が宣告刑ということになる。

○刑の執行猶予の趣旨及び要件を理解し、その概要を説明することができる。

※執行猶予とは、刑を言い渡す際に、情状によってその執行を一定の期間猶予し、その期間を無事経過した時刑の言い渡しはその効力を失うとする制度である。
⇒その趣旨は、社会の中での自立的な更正の機会の確保にある。

・要件は、初度目の執行猶予の場合、
①今回の判決言い渡し前に禁錮以上の刑に処せられていない者、もしくは、前刑の執行終了・執行免除から今回の判決言い渡しまで禁錮以上の刑に処せられず5年以上の期間が経過した者が、
②3年以下の懲役・禁錮、50万円以下の罰金である場合、
③情状によりつけられる。この場合保護観察は任意的である。

・再度の執行猶予の場合、
①前に禁錮以上の刑につき執行を猶予された者、執行猶予中の者が、
②1年以下の懲役・禁錮である場合、
③情状に特に酌量すべきものがあるとき、また、保護観察期間中罪を犯していないことを条件につけられる。

※執行猶予の期間は裁判が確定した日から1年以上5年以下である。


○仮釈放の趣旨及び要件を理解し、その概要を説明することができる。

※仮釈放とは、刑期満了前に条件付で釈放することをいう。

【趣旨】
その趣旨は、無用の拘禁を避け、受刑者に将来の希望を与えて改善を促進し社会復帰を図ることにある。

・要件は、
①懲役または禁錮に処せられた者に改悛の状があるとき、
②有期刑については刑の3分の1を、無期刑については10年を経過した後、
③行政官庁の処分によって行われる。


第2節 罪刑法定主義
 
○罰則は法律で定めなければならないとの法律主義の意義を理解し、命令への罰則の委任の限界及び条例における罰則制定の可否について、その概要を説明することができる。

※法律主義とは、何が犯罪かは、国会において、「法律」により定められなければならず、行政府または裁判所は罰則を制定することができないという原則である。

・行政府は国法上制定権を有する命令において、独自の罰則を定めることができない。

ただし、「特にその法律の委任」がある場合には、命令において罰則を定めることが例外的に許されている(憲法73条6号但書)。

ここでいう「委任」は委任する事項が特定されたものでなくてはならず、一般的包括的な委任は許されない。

行政府に具体的な罰則の制定を許す場合でも、民主主義の原理は守られなくてはならず、そのためには、国会が罰則の内容についてコントロールしていることが必要だからである。

判例も「具体的な委任」が必要であるとしている。

・普通地方公共団体は「法令に違反しない限りにおいて」法令により処理することとされた事務に関し、条例を制定することができるとされており(自治14条1項)、
「法令に特別の定めがあるものを除くほか」、条例中に、条例に違反した者に対し、2年以下の懲役もしくは禁錮100万円以下の罰金、拘留、科料もしくは没収の刑を科する旨の規定を設けることができるとされている(自治14条3項)。

こうした条例は許されるのか問題となるも、条例は、住民の選挙により選出された議員によって構成される議会により制定されるものであるから、その中に罰則を定めることを認めても何ら民主主義の原理には反しない。

・この意味で地方自治法が普通地方公共団体が定める条例中に罰則の制定を一般的・包括的に委任することは、法律主義に実質的には反することはなく、許されるものと解する。というのも法律主義の実質的根拠は、何が犯罪化は国民が決定するという民主主義の原理にあるからである。


○刑法で類推解釈が許されないことの趣旨を理解し、類推解釈と拡張解釈の限界について、具体的事例に即して説明することができる。

※刑法の解釈として、拡張解釈は許されるが類推解釈は許されないと一般に解されている。

それは、類推解釈は、裁判所による事後的立法であり、法律主義に違反して、罪刑法定主義に反し許されないためである。  

・一方で拡張解釈は許される。

拡張解釈は、処罰の対象となっている行為の概念を拡張的に確定し、その概念の中に当該事例を取り込んで、処罰範囲に含めるものである。

・結局その限界は、「言葉の可能な意味の範囲」と「一般人の予測可能性」によってきまる。

例えば、窃盗罪(235条)の客体である「財物」の概念を物理的管理可能性を備えた者と広く確定し、電気などのエネルギーをその中に含ませる解釈は拡張解釈として許されることになる。


○遡及処罰(事後法)の禁止の意義について理解し、その概要を説明することができる。

※遡及処罰の禁止とは、刑法はその施行の時以後の犯罪に対して適用され、施行前の犯罪に対し、さかのぼって適用されないという原則をいう。憲法39条前段前半が規定している。  

・また、刑法6条は「犯罪後の法律によって刑の変更があった時は、その軽いものによる」として、明文で重い刑の遡及適用を否定している。

・一方で、判例が行為者に不利益に変更された場合、遡及処罰禁止の趣旨に従い当該事件における被告人に対して、変更された解釈の適用を否定する見解も存在するが、刑法においては判例は形式的には法源にはなり得ないのであり、不利益に変更した判例を遡及適用することにより被告人を処罰しても憲法39条に違反しない。


○罰則が広すぎるため、又は、あいまい不明確であるために違憲無効とされる理由とその要件について理解し、その概要を説明することができる。

※罰則が存在しても、その内容が不明確であれば、何が犯罪であるかがあいまいではっきりせず、何が具体的に犯罪かが法の適用者により事後的に決せられることになるから、法律主義及び事後法の禁止に反することとなる。

・従って、不明確な罰則は実質的に罪刑法定主義に違反し許されない。犯罪の明確性及び刑罰の明確性が求められる。  

・判例は刑罰法規の明確性の要件について、「通常の判断能力を有する一般人の理解において、具体的に当該行為がその適用を受けるものかどうかの判断を可能ならしめるような基準が読み取れるかどうかによってこれを決定すべきである」としている。


○罪刑均衡の要請について理解し、その概要を説明することができる。

※罪刑の均衡とは、犯罪と刑罰とが著しく均衡を書き不相当な法定刑が規定されているときは、罪刑の適正な法定とはいえないことをいう。

・判例も「刑罰規定が罪刑の均衡その他種々の観点からして著しく不合理なものであって、到底許容しがたいものであるときは、違憲の判断を受けなければならない」としている。


第3節 犯罪論の体系
 
○構成要件該当性・違法性・責任という犯罪論の体系、それに従って犯罪の成否を判断することの意義について理解し、その概要を説明することができる。

※犯罪とは、「構成要件に該当する、違法で有責な行為」をいう。

すなわち犯罪とは、人の行為であって、
①構成要件に該当すること、
②違法であること、
③有責であることという要件をすべて備えたものをいう。

・そして、通説実務は以下のように犯罪の成否を判断する。

・第一に、客観的構成要件として、①結果、②実行行為(因果関係の起点、正犯性の基準)、③因果関係を判断する。

・第二に、主観的構成要件として、故意・過失を判断する。  

・第三に、正当化事由すなわち違法性阻却事由として、①正当行為、②正当防衛、③緊急避難、④その他の違法性阻却事由を判断する。  

最後に、免責事由すなわち責任阻却事由として、①責任能力、②違法性の意識の可能性、③期待可能性、④責任故意を判断する。


第2章 犯罪の積極的成立要件
第1節 主体
 
○業務主(自然人・法人)処罰規定の適用要件について理解し、その概要を説明することができる。

※犯罪行為の主体は「者」と法文上表現されているが、これは自然人を指し、法人はこれに含まれないのが原則である。

法人はそれを処罰の対象とする特別の罰則がある場合にのみ限定的・例外的に処罰されるにとどまる。

・犯罪の中には主体に一定の属性(身分)を要求し、主体の範囲を限定しているものも存在する。これが身分犯である。

身分犯にあっては身分のない者の行為について構成要件該当性を肯定することはできない。

・身分犯は行為者に身分が欠ける場合における犯罪の成否により、
①行為者に身分が存しない場合にはおよそ犯罪の成立が認められないこととなる真正身分犯と、
②行為者に身分がなくとも犯罪となるが身分があることによって刑が加重減軽されることとなる不真正身分犯とに区別される。


第2節 実行行為
 
○実行行為の意義を理解し、具体的事例に即して説明することができる。

※実行行為とは、犯罪構成要件の要素をなす行為をいう。  

・すべての構成要件は一定の法益保護を目的として処罰に値する違法な行為を法定したものであり、実行行為といえるには、形式的に当該行為に当てはまるだけでは足りず、少なくとも結果発生の一般的・抽象的危険性のある行為でなければならない。

・したがって、実行行為とは、各構成要件が予定する行為であり、より実質的には当該基本的構成要件の予定する結果発生の一般的・抽象的危険性のある行為である。

※例えば、殺人のために毒薬を調達して、自宅居室の戸棚の奥に隠しておいたところ、それを偶然に発見した子供が取り出して誤って飲み、死亡したという場合、殺人罪の構成要件該当性を肯定することはできない。

なぜなら、行為者による毒薬の調達・保管行為は結果発生の危険性が備わっておらず、殺人罪の実行行為とはいえないからである。


○間接正犯の意義を理解し、強制され、又は欺かれた被害者の行為を利用する事例や第三者の行為を利用する事例等についてそれを具体的に当てはめ、判断することができる。

1 定義
・一種の道具として自己の犯罪に利用する場合などのように、
他人を道具として利用し,実行行為を行う場合を間接正犯という。

⇒利用者が被利用者に対し強制を加えたとしても,被利用者が現に意思を抑圧されなければ,間接正犯は成立せずに,この場合は教唆犯が成立するにとどまる。

【判例】殺人の実行行為(判例刑法26)

【事例1】
甲は,常日頃暴行を加えて自己の意のままに従わせていた実子の乙(13歳)に対し,Vが管理するさい銭箱から現金を盗んでくるように命じ,乙は,是非善悪の識別能力及び識別に従って行動を制御する能力を有していたが,甲の命令に従わなければまた暴力を振るわれると畏怖し,意思を抑圧された状態で,前記さい銭箱から現金を盗んだ。甲の罪責を論じなさい

―>共犯論との関係:教唆(共謀共同正犯)との区別

【事例2】甲は、自分の夫乙に多額の生命保険を掛けていたが、乙が失業し再就職の見込みもたたないので自殺させようとおもい、「もう生きているのが嫌になったので、一家心中をしましょう。あなたが先に死んでくれれば、『お父さんのところへ一緒に行こう』と息子を説得して後を追うわ」といって、乙に首つり自殺をさせたが、自分たちは死ななかった。


第3節 結果
 
○行為の客体と保護法益の違いについて理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・行為の客体は,通常,構成要件の主要な要素の一つですが,稀にはこれを含まない構成要件もみられる。

⇒たとえば,逃走罪(97条),多衆不解散罪(107条)などがその例である。

・行為の客体は,保講の客体,すなわち,法益と区別されなければならない。

⇒たとえば,殺人罪においては,行為の客体は,さきにあげたように,殺人行為の向けられる「人」ですが,法益は,「その人の生命」である。

※法益は,構成要件の要素ではないが,構成要件を解釈する上に重要な意味をもっており,刑法各論の体系化も,通常,各犯罪の法益を基準として行われています。

・行為の客体は,また,被害者と区別される必要があります。
⇒被害者とは,犯罪によって害を被った者をいい,一つの犯罪について必ずしも一人にかぎりません。

※たとえば,窃盗罪(235条)においては,窃取された財物の所有者も,占有者も,ともに被害者です。被害者には,刑事訴訟法上,告訴権が与えられています(刑訴230条)。


○侵害犯と危険犯の概念について理解し、具体的犯罪に即して説明することができる。
 
・侵害犯とは、既遂罪成立のために、法益が現実的に侵害されたことが必要とされる犯罪であり、
その侵害の危険の発生で足りるのが危険犯である。
⇒危険犯は抽象的危険犯と具体的危険犯に分かれる。

・抽象的危険犯とは、一定の行為それ自体に法益侵害の抽象的危険性が含まれるとして危険判断をせずに行為が行われたことだけで既遂罪が成立する危険犯である
(現住建造物放火罪、非現住建造物等放火、名誉毀損罪等)。

・具体的危険犯とは、法文上または解釈上、行為とともに一定の具体的危険の発生が既遂となるために必要とされる危険犯をいう。
(自己の所有にかかる非現住建造物等放火、建造物等以外放火につき通説。判例は反対)。なお未遂罪も具体的危険犯である。

【参考】
※侵害犯と危険犯の区別と、結果犯と挙動犯の区別は、必ずしも対応しない。

例えば、住居侵入罪は、侵入行為がなされるとそれだけで成立する「挙動犯」であるが、人の住居権ないし住居の平穏を侵害する「侵害犯」である。

 また、現住建造物等放火罪は、放火行為がなされただけでは足りず、建造物等の焼損という結果の発生を必要とする「結果犯」であるが、公共の危険という法益侵害の具体的危険が発生することを必要としない「抽象的危険犯」である。


○継続犯と状態犯の違いを理解し、犯罪の終了時期について、具体的犯罪に即して説明することができる。

・継続犯とは
「構成要件的結果の発生とともに、法益侵害も発生し、犯罪は既遂となるが、その後も犯罪行為を継続している間、終始法益侵害の状態も継続して、犯罪の継続が認められるもの」(前掲・講義案53頁)
を言う。典型例は監禁罪である。

※継続犯というのは、結果発生により犯罪が成立し、結果が継続する間は犯罪が継続的に成立するというものをいう。

・状態犯とは、
「構成要件的結果の発生によって法益侵害が発生し犯罪も既遂となる点は、即成犯と共通であるが、その後、行為者の行為によって法益侵害状態が継続するもの」(裁判所職員総合研修所監修『刑法総論講義案(三訂版)』〔司法協会、平成16年〕52頁)
を言う。典型例は窃盗罪である。

※状態犯というのは、結果発生により犯罪が成立後、法益侵害状態は継続するけど、即成犯と同様、犯罪成立と同時に終了するというものをいう。


○結果的加重犯の意義について理解し、具体的犯罪に即して説明することができる。

・犯人の意識としては15年以下の懲役か50万円以下の罰金で済む「傷害罪(刑法204条)」ですが、死というはるかに重い結果が生じてしまった場合、わざとでないとはいえ加重が考えられる。
⇒事態を処理するため、刑法は、人の身体を傷害し、それによって相手を死亡させた者を3年以上の有期懲役に処する「傷害致死罪(205条)」を設けている。

※このように、基本となる罪よりも重い結果が発生した場合に、その基本となる罪よりも重く処罰する旨の規定を「結果的加重犯」といいます。


第4節 因果関係
 
○実行行為と結果との間に必要となる因果関係の意義について理解し、その概要を説明することができる。

・結果犯においては、構成要件該当性が認められるためには、実行行為にもとづいて一定の構成要件的結果の発生したことが必要となるが、それには,実行行為と結果との間に、原因・結果といえる関係が存在しなければならない。この関係を因果関係という。

・実行行為が存在し当該構成要件が予定する結果が発生したとしても、犯罪が完成するわけではない。実行行為と現に生じた結果との間に、客観的に「原因と結果」と呼べる関係が必要なのである。
⇒この「原因と結果」と呼べる関係、結果の実行行為の客観的帰責を論ずるのが因果関係論である。このような関係が認められない場合は、結果は行為者に帰責されず、未遂罪の成否が問題となるのみである。


○因果関係を認めるために必要となる実行行為と結果との間の事実的な関係について、その内容を理解し、具体的事例に即してその存否を判断することができる。

・因果関係とは、構成要件に該当する実行行為と構成要件に該当する結果との間に必要とされる一定の原因・結果の関係をいう。
⇒たとえば、Xが殺意をもってAに向けてピストルを撃ったが命中せず、たまたま目の前の建物が地震で倒壊したためにAが死亡した、という場合、
Xの行為とAの死亡という結果との間には因果関係がないので、Xは「人を殺した」とはいえず、殺人罪の構成要件に該当しない、ということになる。

・この場合、結論としては、Xには殺人未遂罪が成立することになる。たとえ結果が発生しても、実行行為とその結果との間に因果関係が認められない場合、その犯罪は未遂となる、という点に注意が必要とされる。


○実行行為から結果発生までの間に介在する諸事情(被害者の素因、被害者の行為、第三者の行為、犯人の行為など)の因果関係判断における意義を評価し、具体的事例に即して因果関係の存否を判断することができる。

1 相当因果関係説
(1)考え方
1、条件関係が存在することを前提に、社会生活上の経験に照らして、通常、その行為からその結果が発生することが一般的であり、相当であると認められる立場である。一般観察説とも呼ばれる。

2、行為と結果との間に条件関係があることを前提にして、その行為からその結果が発生するのが相当である場合に限って刑法上の因果関係を認めようとするところに、この説の特色がある。

3、相当因果関係説は、行為論で展開された条件関係を構成要件論で限定する因果関係の理論として、基本的に支持されるべき見解である。
⇒この学説については、さらに、
①相当性判断はどのようにして行なわれるべきか、
②相当性を判断するに際し、何を判断基底におくべきか、
という二点が考察されなければならない。

(2)相当性判断
(イ)相当性の程度
1、相当因果関係説は、偶然的な結果とそれに至る異常な因果経過を刑法上因果関係がないとして排除しようとするものであるから、相当性の程度は「ある程度の可能性」で足り、「高度の蓋然性」までは必要でない。

(ロ)相当性判断の構造
1、行為と結果に相当因果関係があるといえるためには、
①行為から結果に至る因果経過の双方について相当性が認めらなければならない。(行為の相当性は、行為の結果に対する危険性の判断)
※行為当時に存在した事情のみを考慮すれば足りる事例においては、行為の相当性判断だけで相当因果関係を認識できる。
②因果経過の相当性は、行為の危険性が具体的な因果関係を通じて結果へ実現したといえるかどうかの危険の実現の判断に依拠している。
※行為後に他の事情が介入し、それが因果の流れに影響を及ぼした事例については、因果関係の確定にあたって因果経過の相当性をも判断することが不可欠である。

(3)判断基底
1、相当因果関係説は、相当性の有無を判断する際に、その基礎(判断基底)としてどのような事情を考慮すべきか(つまり相当性を判断する判断材料に何を採用するか)によって、伝統的には以下の三説に分けられる。

(a)主観的相当因果関係説
1、主観説とは行為者が行為当時認識・予見していた事情及び認識・予見しえた事情を基礎として判断する見解のことである。
⇒例えばAは、一見健康に見えるBが実は重度の心臓病であることを知らずに、背後からタックルをして強いショックを与え、死亡させたとする。このときAはBの心臓病について知らなかったのだから、たとえ一般人なら知りえたとしても、そのことは判断材料から除外される。
2、よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。

【参考】
ア 主観説は,
行為者が,行為当時に認識していた事情,および認識しえた事情を判断基底として,相当性を判断する見解である。

イ 具体例 
AがBを殴打してBに軽傷を負わせたところ,Bは血友病を患っていたため出血が止まらず出血多量で死亡した。

ウ 帰結
・主観説によれば,一般人が血友病を認識しえても,Aが認識しえなかったかぎり,相当因果関係は認められない。
⇒AがBの血友病を認識しておらず,または認識することもできなかったときは,Bの血友病という事実は判断基底から排除することになる。すると,健康人が軽傷によって出血多量で死亡することが,経験則上相当か否かという判断となり,これは相当ではないとされ,相当因果関係はないとされるからである。

(b)折衷(せっちゅう)的相当因果関係説
1、折衷説とは、行為当時一般人に認識・予見可能であった事情と、行為者が特に認識・予見していた事情を基礎として判断する見解のことである。
⇒行為後の事情については、行為の際に、一般人の予測しえた事情と、行為者の予測していた事情を、判断の基礎事情とするとされる。

2、上記の例でいえば、一般人にはBの病気を知ることはできず、Aも知らなかったのであるから、これを判断材料に含めることはできない。つまり、Bが重度の心臓病を患っていたということは無視される。よって、健康な人に後ろからぶつかって死亡させてしまうということは通常考えられず、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がない」ということになる。

【解説】
ア 折衷説は,行為時に存在した事情については,行為当時に一般人が認識することができたであろう事情,および行為者が特に認識していた事情を判断資料として相当性を判断する。
⇒行為後に生じた事情については,一般人が予見しえたか,または行為者が特に予見していた事情であるときは相当性があり,そうでないときは相当性がない。
  
イ 具体例
 ・AがBを殴打してBに軽傷を負わせたところ,Bは血友病を患っていたため出血が止まらず死亡した。
 
ウ  帰結
 ・一般人が,Bが血友病であることを認識しえたときは,Aが認識していなくともそれを判断資料として相当性を判断することになる。すると,血友病患者に軽傷を負わせることによって出血が止まらず死亡することは経験則上通常(相当)であるから,相当因果関係があることになる。
 ⇒他方,AがBの血友病を認識していたときは,一般人が認識しえなかったとしても,Bの血友病という事情を判断資料として相当性を判断するので,同様に相当因果関係がある。

(c)客観的相当因果関係説
1、客観説とは、行為当時に客観的に存在したすべての事情を基礎として判断する見解のことである。行為後に生じた事情についても、それが行為時に予見可能であった限りすべて考慮するとされる。
2、上記の例でいえば、Aが知っていたかどうかは問題でなく、とにかく当時Bが重度の心臓病であったことは事実であるから、これは判断材料に含まれるとする。
3、よって、重度の心臓病患者に背後から強い衝撃を与えれば死んでしまうかも知れないということは通常予想の範囲内であり、Aの行為とBの死亡という結果の間には「因果関係がある」ということになる。

【参考】
ア 客観説は,裁判の時点に立って,行為当時に存在したすべての事情,および行為後に生じた事情のうち一般人にとって予見可能であった事情を判断基底として,相当性を判断する見解である。

イ 具体例
 ・AがBを殴打してBに軽傷を負わせたところ,Bは血友病を患っていたため出血が止まらず死亡した

ウ 帰結
 ・この場合,客観説からは,相当因果関係説が認められるとされる。
  Bの血友病は,行為当時すでに客観的に存在していた事情であるから,行為当時その事実が判明していなくとも,判断基底となる。そうすると,血友病患者に軽傷を負わせることによって出血が止まらず死亡することは,経験則上相当であるといえることから,相当因果関係は認められることになるからである。

*以上の事例で,気をつけて欲しいのは,「軽傷」を負わせたという点である。通常なら死んでもおかしくないほどの傷害を負わせた場合は,折衷説であっても,Bが血友病であろうがなかろうが,Aがそれを知っていようがいまいが,関係なく因果関係が認められる。なぜなら,通常なら死ぬほど殴ったのであれば,血友病でない通常人であっても死亡することがあり得るらである。上記の設例では,現実に負わせた軽傷を通常人に負わせた場合は死なないといえる場合である。


第5節 不作為犯
 
○不作為犯の意義と種類について理解し、その概要を説明することができる。

※真正不作為犯
・真正不作為犯とは、「一定の期待された作為をしない」という不作為によって構成要件を実現する不作為犯のうち、
構成要件的行為が不作為の形式で刑法に定められている犯罪を実現する場合を意味する。(端的にいえば、「~しなかった者は罰せられる」という流れで刑法に定められている罪のことを指す)

※刑法上の真正不作為犯の具体例としては、多衆不解散罪(刑法107条)、不退去罪(130条後段)、保護責任者不保護罪(218条後段)などが挙げられる。

・真正不作為犯は、刑罰法規上、不作為の内容が構成要件的行為として明確に規定されている。
⇒他方、構成要件的行為が作為の形式で定められている犯罪を不作為により実現する場合である不真正不作為犯は、罪刑法定主義の観点から問題となりうる。

・なぜなら、条文上、どのような不作為が処罰の対象となるのかが不明確であることから、論理上ほとんど全ての場合において不真正不作為犯の成立が可能となり、処罰範囲が不当に広がるおそれがあるからである。

・そこで、不真正不作為犯においては、犯罪の成立範囲を限定するために作為義務・作為可能性・容易性を要求している。

・したがって、母親が殺意を持って、幼児に対して「ミルクを与えなかった」という不作為により餓死させた場合にも殺人罪にあたることとなる。

※不真正不作為犯
・不真正不作為犯とは、「期待された作為をしない」という不作為によって構成要件を実現する不作為犯のうち、通常は作為の実行行為によって実現される犯罪を不作為によって実現することで成立する犯罪を意味する。

※不真正不作為犯においては、処罰の対象となる不作為がどのようなものであるか法文上明らかでないため、罪刑法定主義に違反するという問題点があるという見解も存在する。
⇒しかし、通説的見解においては、行為者が保証人的地位、つまり構成要件的結果が発生しないように法的に保証する義務を負う立場にあることが、不真正不作為犯における記述されない構成要件要素であるとし、保証人の不作為のみが構成要件に該当すると考える保証人説が採用されている。

・不真正不作為犯の成否が問題となるのは、放火罪、殺人罪、詐欺罪等においてである。

※特に、ひき逃げについては、単純なひき逃げは不作為による殺人罪は成立しないが、事故後、被害者を最寄りの病院に搬送するために自己の排他的支配領域である自動車に乗せて出発したが、途中で刑事責任に問われることを恐れ、適当な場所に遺棄して逃走しようと走行中に、被害者が死亡した場合には不作為による殺人罪の成立が肯定される。


○不真正不作為犯の成立要件について理解し、その概要を説明することができる。

・そして、作為可能性の判断に基づき、保証人的地位に基づく作為義務を負う者の不作為による結果惹起が、作為による構成要件実現と同視しうることが不真正不作為犯の成立要件とされる。

・不作為の因果関係は、「期待された作為を行っていたら結果が回避されたであろうか」という基準で判断される。


○不真正不作為犯における作為義務の根拠について理解し、具体的事例に即してその有無を判断することができる。

・作為義務というのは、不真正不作為犯の成立を基礎づける概念である。
⇒例で言えば、救助しないという不作為が「殺した」という一見作為を意味すると思われる要件に該当することとされるのは、「人を救え」という作為義務が存在し、その作為義務に反したからこそ「殺した」と評価されることとなるからなのである。

・右のように不真正不作為犯の成立に作為義務が必要とされるのは、不真正不作為犯の成立する範囲を限定するためである。
⇒例えば、冒頭の例で当該ボートの周りにはC、Dがそれぞれ乗っているボートがあったとした場合、CやDの不作為によってB溺死という結果が生じたとも評価できる。

※このように不作為犯の場合、結果発生と因果関係のある不作為をした者は多数考えられるので、不作為犯成立の範囲が因果関係では限定できないそこで、不作為犯成立の範囲を明確化するため、作為義務を一定の範囲の者に課し、当該作為義務を負う者の不作為のみが構成要件に該当するものとしたのである。


○不作為犯における因果関係の意義について理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・不作為犯の因果関係の判断では、何も付け加えないで判断することはできないのであって、行われるべきであった作為を付け加えて、作為をしていたならば結果が発生しなかったかどうかにより事実的因果関係が判断されます。また、このように因果関係が認められるためには、合理的な疑いを入れない程度の、ほとんど確実といえる程度の結果回避可能性が必要と考えられる。

※例えば、交通事故によって人に重傷を負わせたにもかかわらずこれを放置し、相手が死亡したとしても、直ちに救助して病院に連れて行ったとしても助けられたかどうかわからないという場合には、不作為がなかったならば結果が発生しなかったとは言えない。そこで、不作為がなく、作為義務が果たされたならばほとんど確実に結果が回避できたといえることが必要となる。

・また結果回避可能性についても作為義務の問題とし、結果回避可能性が認められない場合には、そもそも不作為犯の作為義務が認められないとの見解も主張されています。このように考えると、結果回避可能性が認められない場合には作為義務がないため実行行為がなく、未遂の成立も否定されることになる。


第6節 故意
 
○故意があるというためにはどのような事実について、どのように認識・予見する必要があるか理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・「故意」とは、日常用語的には「わざと」ということですが、刑法では、構成要件(刑法の条文のうち、何が犯罪となるかを規定した部分)に該当する客観的事実(犯罪事実)を認識しながら、敢えて行為に出る意思と定義されている。
⇒例えば、殺人罪を例にとるとすれば、「拳銃であいつを殺してやる」という意思です。このような故意を「確定的故意」という。


○未必の故意と認識ある過失の区別について理解し、具体的事例に即して説明することができる。


・例えば、わざと人にぶつけようと思ってその人めがけて石を投げてぶつけた。
⇒これは暴行罪の故意有りとなる。
 
※では、自分の石投げの腕に自信があって、その人には石はぶつからないだろう、もしかしてぶつかるかもしれないがそれでもいい云々と考えて、その人の横30センチくらいの地面を狙って石を投げたが、予想に反してその人に石が当たってしまった、という場合はどうなるかということ。
「わざと石をぶつけた」わけではないから故意はないのかと思われるが…。
 ⇒結論から言うとこの場合にも故意は認められます。

「わざと」と言うレベルまで行かなくても、自己の犯罪行為を認識しつつそれを行えば故意は成立するのです。上記の「ぶつかる(犯罪行為になる)かもしれないが、それでもいい」というレベルの主観的態様でも、故意は成立します。
⇒上記のような故意を、明らかに犯罪行為をしようとしていた場合(確定的故意)と区別して「未必の故意」と言います。


○予見していた客体とは異なる客体に法益侵害が生じた錯誤事例における故意犯の成否について理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・故意について重要となるのが錯誤論です。
⇒錯誤論とは、行為者自身の意図していなかった犯罪事実が発生した場合(意思と結果との間に食い違い=錯誤がある場合)に故意が認められるかどうかという議論である。
 
なお、故意と過失は別個のものですので、検討の結果として故意が否定されても過失が別個成立することは有り得ます。

・錯誤の例としてよく挙げられる事例は、闇夜でAを殺害しようとしてピストルを発射したところAだと思っていたのはBであり、Bが弾丸で死亡したという事例です(客体の錯誤)。また、Aを殺害しようとしてピストルを発射したところAの隣にいたBに弾丸が当たりBが死亡したという事例もあります(方法の錯誤)。
 
・この場合に、行為者にBに対する殺人の故意を認めるか否か、学説が法定的符合説と具体的符合説に分かれます。

結論から言うと、現在は法定的符合説が圧倒的に優勢と考えていいと思います。
したがって学習の上ではあまり迷う必要がないところですが、具体的符合説も、故意とは何かを考える上では有用な学説ですので、一応その内容を把握しておくことは無駄ではありません。
 
※具体的符合説
・具体的符合説というのは、「行為者はAを殺害しようとしていたのであってBを殺害しようとしていたわけではないのだから、行為者にBに対する殺人の故意があるとは言えず、Bに対する過失致死罪が成立する」というものである。
 
※しかし、故意と言うのは、犯罪の意志のない行為を(過失が成立する場合を除いて)処罰しないために編み出された概念であるはずです。そうであれば、犯罪、つまり法(殺人の場合は刑法199条)に反する意思が行為者にあった以上は、故意の成立を認めて差し支えないというべきです。

・実際、具体的符合説を取った場合、殺人の事例であるからまだ行為者にはBに対する過失致死罪が成立するとして処罰する事は一応可能ですが、これが人ではなく物だったらどうなるのか。

※たとえば彫像Aを壊そうとして彫像Bを壊してしまった場合、具体的符合説では、彫像Bに対する過失の器物損壊があったことになりますが、過失の器物損壊を処罰する規定は現行法にありませんから行為者には何らの犯罪も成立しないことになる(前田雅英『刑法総論講義(第5版)』270頁に同旨の記述があります)。
⇒そのような結論は、到底国民一般の処罰感情にかなうものとは言えないでしょう。

具体的符合説は故意概念を考えるための一つの理論としては存在しますが、実務的には馴染まない学説と言えます。

※法定的符合説
・そして、前述したように、Aを殺害するにしてもBを殺害するにしても同じ「殺人罪」の規範(人を殺してはならない)に直面して、これを乗り越えて犯罪を犯している点では変わりないわけですから、行為者にはBに対する殺人の故意が認められ、客体の錯誤・方法の錯誤いずれの場合でも殺人罪の成立を認めるのが法定的符合説であり、今日の通説です。
 
※ただし、法定的符合説の間でも一故意説と数故意説の対立が存在しますので注意が必要である。
上記の事例で、Aを殺害するつもりで撃った弾丸がAとB両方に命中してAとB両方が死亡した場合を考えてみましょう。

・法定的符合説の中でも一故意説は、故意としてはA1名を殺害するつもりであったのであるから、Aに対する殺人罪は成立するが、Bに対する殺人罪は成立しないとします(1名殺害の故意をAの罪責で使い切ったという考え方)。これに対して数故意説は、AとBいずれに対しても殺人既遂罪が成立するとする。

・ここでは、数故意説が通説であることを覚えておけば良いと思います。
⇒これも、教科書事例を離れて考えてみれば、「20名を殺害する意思で爆弾を投げ込んだら21名が死亡した」という場合に、20名に対する殺人罪のみ認め、残り1名に対しては過失致死罪しか認めないというのは明らかに不合理です。


○因果経過について錯誤が生じた事例における故意犯の成否について理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・因果関係の錯誤とは、行為者が認識した事実と実際に発生した事実の間に錯誤はないが、結果の発生に至る因果経過について錯誤が生じている場合である。
⇒例えば、AがBを餓死させるつもりで部屋に監禁したところ、Bが部屋の窓から飛び降りて死亡したような場合です(Ⅲ具・因――具体的事実の錯誤における因果関係の錯誤となる)。

※因果関係の錯誤は、「具体的事実の錯誤」の場合にだけ問題になります。


○認識・予見した事実と発生した事実とが異なる構成要件に属する事例における故意犯の成否について理解し、具体的事例に即して説明することができる。

・「事実の錯誤」には、大きく分けて2つの形態があります。第1は、「具体的事実の錯誤」と呼ばれているものです。第2は、「抽象的事実の錯誤」と呼ばれているものです。

※具体的事実の錯誤
・具体的事実の錯誤とは、「同一の構成要件の範囲内で生じている錯誤」のことです。
⇒AがBを殺害しようとしたが、実際にはCを殺害した場合、AはBを殺害するという事実を認識・予見していましたが、実際にはCを殺害するという事実を発生させています。

・「Bを殺害するという事実」は殺人罪の構成要件に該当する事実であり、「Cを殺害するという事実」もまた殺人罪の構成要件に該当する事実です。Aが主観的に認識・予見した「B殺害」の事実と客観的に発生させた「C殺害」の事実の錯誤は、殺人罪という同一の構成要件の範囲内で生じています。

※抽象的事実の錯誤
 抽象的事実の錯誤とは、「異なる構成要件にまたがる錯誤」のことです。
⇒Aが人Bを殺害しようとしたが、実際には飼犬Cを殺害した場合、Aは人Bを殺害するという事実を認識・予見していましたが、実際には犬Cを殺害するという事実を発生させています。

・「人Bを殺害するという事実」は殺人罪の構成要件に該当する事実であり、「犬Cを殺害するという事実」は器物損壊罪の構成要件に該当する事実です。Aが主観的に認識・予見した「人B殺害」の事実と客観的に発生させた「犬C殺害」の事実の錯誤は、殺人罪と器物損壊罪の異なる構成要件にまたがって生じています。

※また、逆の場合も同じです。Aが犬Cを殺害しようとしたが、実際には人Bを殺害した場合です。この場合も抽象的事実の錯誤が生じています。ただし、前者は「重い罪」を行なおうとして、「軽い罪」を行なった錯誤であり、後者は「軽い罪」を行なおうとして、「重い罪」を行なった錯誤なので、同じように扱うことはできません。