本物でなければ到底、その厳しい主 の道は 歩めぬ。


13:54汝己の道を棄てわが道とわが律法とを究めんと努めたり。

その心境は複雑だと言い切る。

汝己の道を棄て、これの意味はその出会った神の聖霊【雄牛】。

詩編にこの言葉があり、それを実際に見て、それの言葉を聞いていないとそのすべての記述は意味が分か らない。

(詩編50章)
50:8わたしがあなたを責めるのは、
あなたのいけにえのゆえではない。
あなたの燔祭はいつもわたしの前にある。
50:9わたしはあなたの家から雄牛を取らない。
またあなたのおりから雄やぎを取らない。

これの意味に気が付くと、エレミア書4章で、その人物が心臓の壁が激しく鼓動し、なおかつその意味に 従わずに不義を行えば、はらわたがえぐり返される。

要するに下腹部のみずおちの部分が激しく痙攣する人物であることである。

4:18あなたの道とその行いとが、
あなたの身にこれを招いたのだ。
これはあなたの悪の結果で、まことに苦く、
あなたの心をつらぬく」。
4:19ああ、わがはらわたよ、わがはらわたよ、
わたしは苦しみにもだえる。
ああ、わが心臓の壁よ、
わたしの心臓は、はげしく鼓動する。
わたしは沈黙を守ることができない、
ラッパの声と、戦いの叫びを聞くからである。

私はそれの意味をすべて認めるが、当初神に出会った言葉や、それの苦しみに耐えられるかという問いか けがあったこと。

だが、その出会いから30年が経過するくらいまでは、己の意味さえ悟らず、その意味をわきまえずに好 きに飲み食いして、神の律法を悟ることもなく、また示されている「主の道」を歩むこともしなかった。

だが、聖書の言葉で、その運命の人物に示されている道は、
非常に難儀なそして、苦しみに満ちた人生を歩むことを命令され、それを余儀なくされていることであ る。

だが、神はそれの道をなぜに指定されているかは、隠された言葉のエズラ第二の存在に、その人物が気が 付くかが重要なカギとなり、それを歩むゆえの答えが示されていることである。

まず、汝の道を棄て、
これの意味は、今まで生きてきた(培ってきた和食の職人の道を断ち)、申命記に記されている道を拒ま ずにそれを行くこと。

(第28章)
28:15しかし、あなたの神、主の声に聞き従わず、きょう、わたしが命じるすべての戒めと定めとを守り行わな いならば、このもろもろののろいがあなたに臨み、あなたに及ぶであろう。

28:58もしあなたが、この書物にしるされているこの律法のすべての言葉を守り行わず、あなたの神、主という この栄えある恐るべき名を恐れないならば、 28:59主はあなたとその子孫の上に激しい災を下されるであろう。その災はきびしく、かつ久しく、その病気は 重く、かつ久しいであろう。

だが、それの苦しみの道を選び、命じられた主の道を拒まずに歩むならば、
第28章の冒頭。

28:1もしあなたが、あなたの神、主の声によく聞き従い、わたしが、きょう、命じるすべての戒めを守り行う ならば、あなたの神、主はあなたを地のもろもろの国民の上に立たせられるであろう。
28:2もし、あなたがあなたの神、主の声に聞き従うならば、このもろもろの祝福はあなたに臨み、あなたに及 ぶであろう。
28:3あなたは町の内でも祝福され、畑でも祝福されるであろう。

この行くべき主の道は,剣山の上を素足で歩くような厳しさが伴うこと。
もちろん、己の道を棄てとあるので、その言葉を語るがゆえに、無職の意味を背負う意味もある。

その言葉に何もなき状況とある。

1:27それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、 この世の弱い者を選び、
1:28有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等し い者を、あえて選ばれたのである。
1:29それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。

その状況はとても惨めなことがシラ書の言葉で示されている。

(シラ書第11章)
解読文章抜粋

シラ11:5 力を誇る多くの支配者が土下 座するはめに陥り、 思いもよらぬ者が王冠をかぶることになった。

(このまま)

この世の、力を誇る多くの支配者が土下座するはめに陥り、

 思いもよらぬ者〈想像もできない者〉が王冠をかぶることになった。

 その運命、神が自らに与えた貧困の意味で、その苦汁の意味を人々は悟らない。


シラ11:6 多くの権力者がひどい辱めを 受け、 高名な者たちが異国の人の手に渡された。

(このまま)

その神の天罰が行われると、多くの権力者がひどい辱めを受け、

 高名な者たちが異国の人の手に渡された。

 異国の人とは、シオンの国の日本にいる人物である。


シラ11:7 よく調べないうちに、とがめ てはならない。 まず、じっくり考え、その後に叱れ。

(このまま)

その罪状を、よく調べないうちに、咎めてはならない。

 まずは、じっくり考え、その後に叱ることこそ賢明である。


シラ11:8 よく聞かないうちに、答えて はならない。 他人の話に割り込むな。

(このまま)

その取調べを、よく聞かないうちに答えることは浅はかである。

 他人の話に割り込むことなく、じっくりとその様子を観察することである。


シラ11:9 自分にかかわりのない事で、 人と争うな。 ならず者たちの言い争いに加わるな。

(このまま)

自分にかかわりのない事で、人と争うな。

 己のかかわりのないことであれば、争っても無駄なのである。

 ならず者たちの言い争いに加わるな。

 愚かな思考しか持たない者らの言い争いこそ、流血の沙汰の意味を持つからである。


シラ11:10 子よ、あまり多くの事に手 を出すな。 何もかもしようとすれば、ひどい目に遭う。 やり遂げようとしても、果たすことはできず、 逃げようとしても、逃げきれるものではない。

(このまま)

やるべきことは、八方広がりになるようではいけない。

 一点に集中して、その重要な隠された神の言葉の解読と、法律を学んで律法者になることこそが賢明と 教えられた。


シラ11:11 苦労し、難儀し、懸命に事 を運ぼうとしても、 その人はかえってますます遅れてしまうものだ。

(このまま)

その仕事の内容が、記されているとおり、

 苦労し、難儀し、懸命に事を運ぼうとしても、

 その膨大な量と、届けるべき言葉に奔走して、

 その人はかえってますます遅れてしまうものだ。


シラ11:12 のろまで、助けを必要と し、 何もできず、貧しさにあえいでいる人もいる。 しかし、主は、彼に目を注いで恵みを与え、 惨めな状態から引き上げ、

(このまま)

のろまで、助けを必要とし、 何もできず、貧しさにあえいでいる人もいる。

 要するに、おかれた立場はシラ書の10章に ある通り、仕事にはつけない状況を与えられ、苦汁の日々の中で、己が罪を犯さぬように、精神の修業を積んできた。

 しかし、主は、彼に目を注いで恵みを与え、 惨 めな状態から引き上げ、

 そのみじめな状況から、神が引き上げて、その地位を与えられる。


シラ11:13 高めてくださった。 そこで、多くの人々は彼を見て非常に驚いた。

(このまま)

主のお計らいで、その人物でこそ、驚くくらい、高めてくださった。

 そこで、多くの人々は彼を見て非常に驚いた。

 要するに、その時が来るまで、その意味のことはみじんも感じさせていないこと。もしくはその意味を 信じていない者が多いことである。


11:14 善と悪、生と死、 貧困と富は、主が与えるもの。

(このまま)

善と悪、生と死、 貧困と富は、主が与えるもの。

 実際にそう感じます。

 善と悪、一度は悪に傾きかけた頃を反省し、善に傾く意味。

 生と死は、そのものすべてが神のもたらす意味であり、その死の宣告には人々は何もできないというこ とを悟るべき。

 貧困と富、これも神が与えることで、人間に考えさせる意味がある。


シラ11:15 〔知恵と悟り、それに律法 の知識、 愛と善行の道、これらは、主が与えるもの。

(このまま)

知恵と悟り、それに律法の知識、 愛と善行の道、これらは、主が与えるもの。

 その意味を悟れば、神の意向に耳を傾け、あるべき姿を求めることが肝要である。

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ただ言えることは、これの苦しみの人生を,己自身で選ぶのには訳がある。

7:61されば信ぜし人々の救のために喜椀あるに似ず、彼等の滅亡を悲む者なかるべし。』

7:62我答へていふ『主よ我知る。いと高き者は未だ世に來らぬ者を憐み給ふが故に憐深きものと呼ばれ、

7:63その律法に心を向くる者に慈悲を示すが故に慈悲深き者と呼ばれ、

7:64その造り給へる者罪を犯すともこれを忍び給へば、忍耐強きものと呼ばれ、

7:65奪ふよりも與ふる者なれば、與ふる者と呼ばれ、

7:66又今在る者、過ぎ去れる者、及び來らんとする者に憐憫を≠オ加へ給へば、憐憫大なる者と呼ばれ給ふ。

7:67(そは彼、その恩惠を≠オ加へ給はざりしならば、此の世も、この世に住む者も、生命を保つ事能はざり しならん。)

7:68又彼は赦す者と呼ばれ給ふ。そは彼、罪を犯すもののその罪を離れんがために、その慈悲をもて彼等を赦 し給はざりしならば、世の人の千分の一も、生き殘ること能はざりしならん。

7:69又彼は審判主と呼ばれ給ふ。彼その御言によりて造られし者を赦し、彼等の罪を取り消し給はざりしなら ば、

7:70恐らくは、大なる群の中より甚しく少き數殘るに過ぎざりしならん。』

その人物が安息日を守る人生を歩むことになれば、到底料理の道では土曜日の仕事は捨て去るしかない。

それの意味も神のおきてを守るゆえであり、そうでなければ意味がない。

60:14あなたを苦しめた者の子らは、
かがんで、あなたのもとに来、
あなたをさげすんだ者は、
ことごとくあなたの足もとに伏し、
あなたを主の都、
イスラエルの聖者のシオンととなえる。

60:15あなたは捨てられ、憎まれて、
その中を過ぎる者もなかったが、
わたしはあなたを、とこしえの誇、
世々の喜びとする。

60:16あなたはまた、もろもろの国の乳を吸い、
王たちの乳ぶさを吸い、
そして主なるわたしが、あなたの救主、
また、あなたのあがない主、
ヤコブの全能者であることを知るにいたる。

(イザヤ書)

弟子たちがイエスに言った。あなたがわ たしたちから去っていかれることをわたしたちは知っています。だれがわたしたちの上に長となるのでしょうか。イエスは彼らに言われた。あなたがたが行く場所で、義人ヤコ ブのもとに行くがよい。天も地も彼のゆえに造られたのである

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