その証明のことば

中国の古典にその意味を学ぶ。


論語より

 

曾子曰、慎終追遠、民徳帰厚矣。

 

[書き下し文]

曾子曰く、終わりを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰せん。

 

[口語訳]

曾先生がこうおっしゃった。

『(為政者が)亡くなった人の葬式を厳かに行い、遠い祖先の祭儀も決して忘れることがない。

(このようであれば)人民の徳(思いやり)も自然に厚くなっていくものだ』


河や海が数知れぬ渓流の
そそぐところとなるのは、
身を低きに置くからである。

同様に賢者は、
人の上に立たんと欲すれば、 
人の下に身を置き、

人の前に立たんと欲すれば、
人の後ろに身を置く。

かくして、
賢者は人の上に立てども、

人はその重みを
感じることなく、

人の前に立てども、
人の心は傷つくことがない。

(老子)

※これに通じる言葉の意味が聖書にある。

なぜにその低い位置に造られている答えの言葉である。

老子もその意味を知りえていたのだろうか。


1:25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである。

1:26兄弟たちよ。あなたがたが召された時のことを考えてみるがよい。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。 

1:27それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 

1:28有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。 

1:29それは、どんな人間でも、神のみまえに誇ることがないためである。 

1:30あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。キリストは神に立てられて、わたしたちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。

1:31それは、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。

※無きに等しいとある意味、その降る状況が何もない状況、それの答えは聖書に網羅されているが、人々はそれの意味を考えもしない。

我慢が続くのである。